川越氷川神社

世界に知られる文化として

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、相互の習俗、生活を理解することが世界に平和をもたらすとして、言語や芸能、祭礼行事など、無形の文化遺産の保護を行っています。その取り組みのひとつに、無形文化遺産の一覧表の作成があります。
世界遺産が自然や遺跡などから価値がある優れたものを選ぶのに対し、無形文化遺産の一覧表は世界に多様な文化があることを公開し、保護する目的で作成されます。
平成28年11月30日(日本時間12月1日)に開催された第11回政府間委員会の審議において、日本の山・鉾・屋台行事が、一覧表の一つである「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載(登録)されました。
この山・鉾・屋台行事は「川越氷川祭の山車行事」を含む33件の祭礼行事で構成され、いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されています。

伝達式の様子 伝達式の様子

山 ・鉾・屋台行事

山・鉾・屋台行事とは、山車や山鉾、屋台といった出し物の巡行を中心とした祭礼で、主に地域社会の安泰、災厄防除の祈願を目的としています。 「川越氷川祭の山車行事」もその一つです。
山・鉾・屋台行事は全国各地で行われていて、出し物の形や呼び名はさまざまですが、それぞれの地域の繁栄を背景として製作されました。大きくて華やかな飾り付けを施した出し物は各地の祭礼で地域の人々により曳き出されます。


川越氷川祭、山車行事の歴史

川越氷川祭、山車行事の歴史

江戸時代、江戸城から見た北の守りとして重要視されていた川越は、大都市江戸への物資供給拠点でもありました。市内を流れる新河岸川は、江戸と川越を往来する舟で賑わい、江戸の文化や江戸で行われていた祭の様式も川越に運び入れました。
寛永15年(1638)、川越城やその城下、寺院などを焼失させる大火災が起こりました。その翌年に川越藩主となった松平信綱が打ち出したさまざまな復興策の中に、城下町の整備と祭の奨励がありました。
信綱は、武家地とともに商人や職人が住む町人地を整備し、城の近くにある氷川神社を城下町の鎮守としました。
慶安元年(1648)、信綱は神輿や獅子頭などを氷川神社に奉納し、祭を行うように命じ、慶安4年(1651)に初めて神輿渡御が行われました。
祭では町人が住む「十ヶ町」(喜多町・高澤町・本町・南町・江戸町・志多町・多賀町・鍛冶町・志義町・上松江町)が、山車や屋台を曳き出して、神輿のお供をしました。山車や屋台の上では流行の歌や踊り、祭囃子が行われ、近郷の人々が集まる賑わいを生み出しました。
川越氷川祭は秋の豊作に感謝する祭礼ですが、祭が受け継がれるなかで、城下町の繁栄とともに絢爛豪華な山車が出る都市型祭礼へと発展しました。
神輿が巡行する神幸祭では、現在氏子である大手町・喜多町・幸町(2台)・志多町・末広町・仲町・松江町一丁目・松江町二丁目・宮下町・元町一丁目・元町二丁目・連雀町・六軒町から14台の山車が曳き出されます。


川越氷川祭、山車行事の歴史 川越氷川祭、山車行事の歴史

江戸型山車と山車人形

江戸型山車と山車人形

川越などの江戸近郊で行われる祭は、江戸の天下祭(神田明神、赤坂日枝神社の各祭礼の総称)の影響を強く受けて発展しました。祭で曳き出される山車の形も、天下祭の流行を敏感に感じ取りながら変化していきました。
現在見られる形の山車が川越で曳かれるようになったのは江戸末期から。江戸型山車と呼ばれるこの山車は、川越商人の財力を背景に製作されました。
祭に参加する山車には四輪のものと三輪のものがあり、多くは囃子台が水平方向に360度回転する作りとなっています。
また各町の山車の上段には能や雅楽、神話や英雄などを題材にした人形が乗せられています。この人形も、古いものは江戸時代後期に製作されています。
山車の後方の鉾と呼ばれる部分は二重構造になっており、上下に可動します。電線などがある場所では人形や鉾が上下して障害物を避けることができます。元々は江戸城の城門をくぐるための仕組みとされていますが、現在の祭でも生かされています。


江戸型山車と山車人形 江戸型山車と山車人形 江戸型山車と山車人形

祭礼組織と伝統の継承

祭礼組織と伝統の継承

山車の運行は、各町にある組織が担います。組織の形態や構成は町により異なりますが、山車の運行経路を考えるほか、山車の準備や維持管理など、山車に関するさまざまな活動を行っています。
また、山車を動かすには曳き手の存在が欠かせません。曳き手の確保のほか、囃子連や職方との調整も行っています。
祭の前には軒端揃えや会所・山車小屋の設営が行われます。軒端揃えは神輿や山車が通る道沿いに紅白幕を張るものです。
会所は祭礼中の町民の集合場所であるとともに、他町の人や山車を迎え入れる場所でもあります。
祭の当日は、宰領(責任者)の指示のもと、山車を運行します。金棒を持った露払いを先頭に、手古舞姿の子どもたちや山車の曳き手が続きます。他町内に入るときは、先触れが挨拶をします。
このように各町内の自主的な運営により、川越氷川祭の山車行事は維持されています。


祭礼組織と伝統の継承 祭礼組織と伝統の継承

祭を彩る祭り囃子の調べ

山車の前部には囃子台があり、その上では囃子連による囃子、舞が披露されます。舞1人、笛1人、小太鼓2人、大太鼓1人、鉦1人の編成で、市内では王蔵流、芝金杉流、堤崎流の3流派が多く見られます。いずれも江戸の囃子の流れを汲み、伝承されてきたものです。
曲数は団体により異なりますが、ヤタイ・カマクラ・シチョウメなどの曲があり、天狐や獅子、オカメなどの舞がつきます。山車同士が出会うと、お互いの囃子台を向け合い囃子を競演する「曳っかわせ」を行います。


祭を彩る祭り囃子の調べ 祭を彩る祭り囃子の調べ

運行を支える職人の力

川越の山車の多くは、解体できるように作られています。祭の前後には職方(大工・鳶職などの職人)を呼んで、町の人と協力して「切組」と呼ばれる組立を行います。
祭の本番でも職方の力が発揮されます。山車の曳き出しには鳶職により「木遣り」という仕事唄が唄われます。また、車輪の操作や山車の方向転換を行うほか、電線を避けたり山車の照明管理なども行います。


運行を支える職人の力 運行を支える職人の力

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川越氷川神社の祭祀